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セシルのプロフィール

セシル

はじめまして,セシルと申します。

【プロフィール・自己紹介について】
仕事と研究の関係および周囲の方々にご迷惑をおかけしないために
素顔や本名などは非公開とさせていただきますが,

公開できる範囲でできる限り詳しく私のことをお話しさせていただきたいと思います。

どうぞ温かい目で見ていただけましたら幸いです。

セシルのプロフィール

名前:セシル

性別:男性

年齢:30代

職業:心理ブロガー

専門:心理学

研究領域:社会問題と社会正義に関わる心理学を研究しております。

研究実績:

学術誌に研究論文が掲載,国内外の学会で研究成果を発表。

資格:専門社会調査士,認定心理士,心理学検定1級など

最終学歴:国立大学大学院 修了(修士)

身長:173cm

体重:62kg

出身:関西

趣味:読書,ブログ,トレーニング,動画鑑賞(映画・ドラマ・アニメ・YouTubeなど)

特技:早起き,節約,整理整頓

好きなもの:よつばのクローバー,猫,恐竜

現在の活動:研究活動,ブログ活動,SNS発信など

現在の夢:

① ブログを通して「生きづらさ」を抱える方々の夢や目標を応援すること,またそのご家族や周囲の方々の手助けとなること

② 論文博士として「博士号」を取得すること

セシル

私の自己紹介をさせていただくにあたって,私の生い立ちからブロガーになるまでの経緯をお話しさせていただきます🍀

目次

なぜ ひきこもりに?? なぜ 社会不安障害(SAD,対人恐怖症)に??

 まず,社会不安障害(SAD,対人恐怖症)について,詳しく知りたい方は下記の記事をご覧ください。

セシルの生い立ちと父親の死

 私は,研究者の父と専業主婦の母との間に,次男として生まれました。

 私は生まれてすぐ(1歳の頃)に父親を病気で亡くしたため,父親の記憶が一切ありません。

 父が亡くなって母子家庭になったため,家庭は非常に貧しくて,幼少期の頃は本当に苦労しました。

 父の他界たかい後,関東から母の地元の関西に引っ越しました。

 母は夫を亡くしたことで,精神的にかなり落ち込んでしまったそうです。

 私が物心ついた頃の母の記憶は,いつも暗くて悲しそうで,私にはほとんど関心がないようでした。

いじめと虐待の子ども時代

幼少期のセシル

 私が2歳の頃,専業主婦だった母が家族をやしなうために働きに出ました。

 そのため,私は2歳~10歳までの間,日中は親戚しんせきの家(母の兄夫婦が住んでいる母の実家)にあずけられていました。

 子どもの頃は母に全く会えない日々だったので,母に目一杯甘えることができた日は一度もありませんでした。

 私は,預けられていた親戚の家で,毎日のように3つ年上の従兄いとこからいじめを受けていました。

 従兄は,近所でも問題児で,友達がいなかったのか,いつも家にいました。

 殴る,蹴る,噛むなどの暴力を振るわれ,プラスチックの棒で腕を突き刺されたこともありました。

 1番体が小さくて,立場の弱い私(他所よその家の子ども)は,従兄の命令で家の中では1人だけ正座をさせられていたこともよくありました。 

 従兄には「お前をわざわざ預かってやっているんだぞ,家に入りたかったら1万円払え」などと言われ,プラスチックのハンマーで頭をなぐられたりもしていました。

セシル

そんな生活が何年も続きました。本当につらかったです。

 そして,大人を含め,誰1人として私を助けてくれる人はいませんでした。

 従兄の母親も問題のある人物として,親戚や近所では知られていて,

 従兄がトイレの水で洗ったおはしで私にご飯を食べさせた時も,黙って見ているだけでした。

 心理学的に考えれば,私は1歳で父親を失ったことに加えて,母親にも全く甘えらえなかったため,著しい愛情の欠如けつじょとなり,

 幼少期にいじめを受け続けたことで,この頃から自己肯定感をもつことができずに「社会不安障害(SAD,対人恐怖症)」になっていたと考えられます。

 ゆえに,幼稚園児の頃から,私は「自殺したい」,「死にたい」等とよく口にしていました。

 母に被害を訴えたこともありますが,

 「預かってもらっているのだから,二度とあの家の悪口を言わないで。私には負い目があるの。」と怒られただけでした。

 幼かった私は,ほとんど誰にも相談できないなか,母からは何度も心中に誘われました。

 母に「ふたりで手をつないで海の中に入って死ぬか,四畳よじょう半の部屋で毎日おかゆだけを食べて生活するか,どちらがいいか選びなさい」と何度もおどされました。

 幼少期の私は,その言葉を真に受けてしまい,恐怖で嘔吐おうとして病院に運ばれたこともあります。

 今思えばこれは虐待ぎゃくたいだったのかもしれませんが,母も父が亡くなって悲嘆ひたんに暮れてしまい,

 働きたくない会社で嫌がらせやパワハラを受け続けて,幼い私に当たるしかないほど精神的に追い詰められていたのだと思います。

 それだけ父の死は大きなことであり,私たち一家の人生を180度変えてしまいました。

小学6年生のセシル

中学・高校時代

学校生活

 亡くなった父方の祖父母が,学歴を非常に重視する方であったため,

 私は私立中学校を受験することになり,第2志望の中学校に合格しました。

 中高一貫の男子校でした(中学・高校の学費については,父方の祖父母が支援してくれました)。

 中学・高校の6年間が男子校ですから,私の青春に女子は皆無かいむでした。

 おかげ様で,順調に女性恐怖症となり,青春コンプレックスを抱えることになりました(笑)

セシル

当時はSNSもなかったので。。

中学3年生のセシル

 中学の頃は,バスケットボール部に所属し,部活動に熱心でずっとスタメンでした。

 中学校のマラソン大会で優勝して金メダルをとったこともあります。 

 しかし,スポーツとは反対に勉強が苦手で,成績は良くありませんでした(汗)

 高校に進学してからは,「このままではまずい!」と思って,勉強に打ち込みました。

(※高校はカリキュラムの関係で部活動を続けることはできず,帰宅部でした)

高校3年生のセシル

 高校から成績は急上昇し,何科目もクラスで1位をとりました。「現代社会」の科目においては,学年で1位でした。

 保護者面談では,担任の先生が「もう何も言う事はありません」と褒めてくださり,高校2年生からは上のクラスに入ることができました。

 ただ,上のクラスでは,がんばっても成績は真ん中止まりで,気を抜くとすぐに底辺になりました(汗)

 そして,相変わらずの対人恐怖症だったため,同級生の多くが進学塾に通っていても,私は塾に通うことはできませんでした。

セシル

先生に当てられて,みんなの前で恥をかいたらどうしようとばかり考えていました。

家庭崩壊

 中学・高校時代は,家庭はずっと崩壊ほうかい状態でした。

 中学生の頃は,毎日のように3つ年上の実兄にいじめられ,暴力と暴言を受け続けていました。

 男兄弟というものは,そういうものかもしれませんが,私の兄はまさに“毒兄”そのものでした。

 兄らしいことをしてもらった事は一度もありませんし,食べ物も私の分はいつも取られて,

 兄が寝坊ねぼうをすると,私が先に学校へ行く事は許されず,私も遅刻させられました。

 テレビゲームの誘いを断ったり,兄の要求に従わなければ,暴力を振るわれ続ける毎日でした。

 ただ私も負けず嫌いなので,負けてばかりではいられませんでした。

 私は,目上の人に反抗はんこうしてはいけないという心理的抵抗もあって,ずっと耐えていたのですが,

 「どうせ暴力を振るわれ続けるのなら,兄に勝つことでしか終わりはない」と悟りました。

 そして,16歳の頃に兄と身長が並んで,私は初めて反撃に打って出ました。

 その日は朝から兄の機嫌きげんが悪くて,いつものように私に暴力をふるっていました。

 怒鳴どなり声に驚いた近所の人たちが,家の中まで止めに来てくれたほどの大騒ぎでした。

 私は,兄になんとか抵抗しながら互角につかみ合っていました。

 取っ組み合いのなかで,兄は私の顔につばを吐きかけました。

 その瞬間,私の中で何かがキレる音がしました。

 私は力で兄を制圧して喧嘩けんかに勝ちました。

 その日以来,兄から暴力を受けることは一度もありませんでした。

 元々,私から暴力をふるうことは一切なかったので,暴力をともなう兄弟喧嘩はこの日を最後に完全に消滅しました。

 兄は弱い人間でした。

 そもそも,兄は親戚の家で弟の私がいじめられていた時も,全く助けてくれることはなく,

 兄と同学年の従兄の言いなりで,まるで子分のように私を一緒にいじめていたのを思い出しました。

 ちなみに,母は本当に頼りなくて,私が従兄にいじめられた時も,兄にいじめられた時も,

 ただの一度も助けてくれることはありませんでした。

 母は父を亡くしたことで悲劇のヒロインと化しており,家庭内で問題が起きてもヒステリーを起こしてしまうだけでした。

当時の病状について

 高校生ともなると,受験勉強に集中しなければならなったのですが,

 高校2年生の頃から机に向かうと恐怖で息ができなくなるようになり,

 ほとんど勉強ができなくなっていました。

 この頃の私は,心療しんりょう内科や精神科を受診することに強い抵抗があり,病院に行く事はできず,

 自分が精神疾患しっかんわずらっている可能性など考えたこともありませんでした。

 私は,精神疾患を弱さや恥ずかしいことだと思っていました。

 実際は,この頃は重度の社会不安障害(SAD,対人恐怖症)」「うつ状態」だったと思います。

 高校2年生から3年生の間はほとんど笑わなくなり,

 高校卒業と同時に 私の精神状態は限界を迎えました。

セシル

高校へは頑張って通学して,出席日数ギリギリでなんとか卒業することができました(汗)

一番つらかった “独りぼっちのひきこもり時代”

暗いひきこもりの日々

 大学を受験することもなく,私は高校を卒業すると家にひきこもるようになりました。

 携帯のメールアドレスを変更して,誰にも教えないようにして,それまでの交友関係を一切絶ちました。

(※この頃はまだスマホは登場しておらず,ガラケーでした)

 中高時代,周りに気をつかい続けていて,疲れ果ててしまったのだと思います。

 小さい頃から他人の家で生活していたので,常に人の顔色や機嫌をうかがくせがついてしまい,それがどうしても取れませんでした。 

 18歳から20歳の2年間をひきこもり,私にとってこれが人生で一番つらかった時間でした。

セシル

10年くらい暗い独房の中にいたような気持ちでした

 この頃は,SNSもほとんど発展していなかったため,本当に毎日が孤独でした。

 当時の私には自信のかけらもありませんでした。

 私は何ももっていませんでした。

 学歴も資格もなく,遊びに充実したことも,アルバイト経験もお金もなく,友達も彼女も1人もおらず,コンプレックスのかたまりでした。

 唯一の話し相手は,母親とカウンセラーの先生だけでした(この頃,兄は大学生で下宿しておりました)。

 幸いだったことは,近所の内科の先生がカウンセリングをしており,

 週に1回1時間のカウンセリングを非常に良心的な価格で受けることができたことです。

 これだけが唯一の救いでした。

 内科に通うようになったきっかけは,夜に眠れなくなったので睡眠薬をもらいに行ったことでした。

 内科の先生の診断は,「うつ状態」「対人恐怖症」などでした。

 内科の先生は,心理臨床カウンセラーとしても活動されており,私の人生について話した時,

 「よく今まで生きてこれたね」

 「つらかったね

 「もう頑張らなくていいから」

 と涙目で,私をなぐさめてくださりました。

 初めて人にやさしくされて,心がすごく軽くなったのを今でも覚えています。

 人に頼ることを恥だと思っていた18歳の私の考えが少しずつ変わり始めました。

 「死にたい」という私に「死なないで」と言ってくれる先生でした。

 この先生なしには,私の人生を語れないほど感謝しており,本当に優しくて誠実な先生でした。

プライドを捨てて,ここに来ないか?? 

 さて,そんな生活を2年ほど続けていたある日,また別の先生からとある大学をすすめられました。

 その大学は聞いたこともない無名大学だったのですが,その先生はその大学で講師をされていて,

 「君の目指すようなレベルではないけれど,プライドを捨てて,ここに来ないか??」

 と私に言ってくださったことで,私の心が動きました。

 私は正直,大学のレベルについては少々悩んだのですが,あこがれの大学生になれて,誰も知らない場所で0からやり直せると思いました。

 そして何よりこれ以上 孤独に耐えられないという気持ちが勝ちました。

 ひきこもって悩み続けるなかで,私は臨床心理士を志すようになっていました。

 勧められた大学には心理学部があって,大好きなバスケットボールのサークルもあったので,非常に魅力的に思えました。

 私は大学進学を望み,この地獄に終止符を打つことを決めました。

20歳で大学進学 & 脱ひきこもり達成!!

大学入学と脱ひきこもり

 大学はAO入試で,面接を担当してくれた先生には,「週1回や2回でも通えたらいいと思います」と話しました。

 面接ぐらいハッタリを言えば良いと思われるかもしれませんが,

 ずっとひきこもっていた私には,どうしても毎日通学する自信がありませんでした。

 そして無事,大学に合格し,臨床心理士を志して入学しました。

 2年間もひきこもっていたので,毎日が緊張でいっぱいでした。

 ただ,面接でああは言ったものの,大学がよほど楽しかったのか,

 人との関わりに飢えていた私は,毎朝6時に起きて無遅刻・無欠席で大学に通い続けました。

セシル

ただ体力がついていかず,土日は1日中寝ていました(汗)

ガムシャラにがんばった大学生活

ドリブルするセシル(20代前半)

 ひきこもり期間で,エネルギーが溜まりに溜まっていた私はとにかく頑張りました。

 授業の単位も順調に取得し,1年前期の成績は9割以上がS評価で,英語の成績はトップでした(まあ無名大学ですが…)。

 勉強以外にも,バスケットボールサークルで大好きなバスケットを楽しみ,2年生からはキャプテンとしてサークル活動に励みました。

 他チームとの練習試合を組んだり,クラブ長会議や学園祭で模擬店をするなど,色々な事に熱心に取り組みました。

 3回生からは,臨床心理学・犯罪心理学系の研究室に所属し,ゼミでは刑務所,少年鑑別所,適応指導教室などに見学に行きました。

 他にも,自分を変えたくて,色々なアルバイトに挑戦したり,障がい者を支援するボランティア活動にも参加しました。

 そして,大学では新しい友達や彼女もできました。関係をきった中高時代の友人とも再会しました。

 海外留学や論文コンテスト優勝などの華々はなばなしい経歴は全くありませんが,

 ここで人としての基礎を築くことができたと思っております。

将来への不安と進路に迷う日々

初海外旅行中のセシル(20代前半)

 さて,精神的に元気になると,人は考え方が変わってくる(あるいは戻ってくる)ものです。

 2回生の頃から,本来の負けず嫌いの自分が目を覚まして,葛藤かっとうし続けるようになりました。

 3回生の頃には,心理カウンセラーになるよりも,心理学者(研究者)になって戦いたいと思うようになっていました。

 いじめられ続けてきた私にとって “誰にも壊されないもの” が欲しかったのです。

 ずっとそれを探し求めていました。

(※この頃はまだ,国家資格である「公認心理師」が存在しなかったので,カウンセラー1本で生きていくと決めきれなかったという理由もあります。)

大学院進学を決意・挫折

 臨床心理士になるためには,いずれにしても大学院進学が必須だったのですが,

 私は臨床心理士コースではなく,他大学の研究者養成コースの大学院を受験することを決意して,受験勉強を始めました。

 しかし,大学院は不合格となり,そのまま大学を卒業しました。

挫折・フリーター時代

フリーターになって,自分探しの日々

 出身大学には大学院がなかったため,他の私立大学の大学院を受験して不合格となった私は,大学卒業後はそのままフリーターになりました。

 フリーターの頃は,

 引越しアシスタント,ホテルのルームメイク,運送会社のライン作業,派遣社員,健康器具のモニター,アンケートモニターなどの仕事をこなして,なんとか生活しておりました。

 周りは心配そうにしていましたが,18歳から20歳の頃に地獄を経験した私にとっては,わりと平気な日々でした。

フリーター時代に出会った猫

国立大学大学院を目指して猛勉強!!

 中学受験をして,中高一貫校に通っていたプライドから,

 「大学院は自分の分野の最高峰を目指したい」と考え,某国立大学を受験することを決意しました。

 そのことを知り合いの先生方に話すと,

 「不可能です」

 「別世界の話」

 「そんなところノリで目指すところじゃないから」

 などときつく言われました。

セシル

決してノリではなかったのですが,私もそう思いました(笑)

 ですが,負けず嫌いの私はアルバイトをしながら,

 毎日,英語や心理学,専門分野,統計学,小論文などを勉強し続けました。

 卒業論文もリバイズして,大学院での新しい研究計画書も完成させました。

 そして,無名大学出身の私はとても緊張しながら,研究室訪問をして,大学院の教授にもご挨拶あいさつに行きました。

念願の大学院進学!!

新しい世界

 そして,某国立大学大学院に合格!!しました。

 私の出身大学では,大学院に合格する学生は極少数で,ましてや一流大学の大学院に合格した学生は過去にも例がなかったため,

 私は卒業生の中でぶっちぎりのトップとなりました。

 多くの先生方から

 「感動しました!!」

 「あなたは素晴らしいです!!」

 「何を言われても志を変えなかったあなたの勝利です」

 「あなたは卒業生の誇りです」

 等と,激励の言葉をたくさんいただきました(泣)

セシル

本当に嬉しかったです。やっと人生が変わると思いました。

 大学院入学後も勉強をがんばり,大学院の授業の成績はすべてS・A判定でした。

 心理学の研究者としても,国際学会や国内学会で研究を発表し,学会誌に論文が掲載けいさいされ,

 学会の委員をつとめるなど,これまでにない貴重な経験をすることができました。

研究会のプレゼンで緊張するセシル(20代後半)

 大学院に進学して良かったことは,

 「研究能力・専門知識が身についたこと」

 「優秀な研究者や専門家の方々との人脈を作れたこと」

 「自分の得意・不得意が分かったこと」

 「自信がついたこと」

 です。

 しかし,,

 ただ学位を取得するだけならそれでよかったのですが,

 研究者を目指すとなると,そう甘い世界ではありませんでした。

(※学費や学会への旅費などは,フリーター時代の貯金と奨学金しょうがくきん工面くめんしました。

 しかし,それだけでは生活が苦しかったので,大学院生をしながら,教育アシスタントや大学で非常勤の事務職員としても働き,

 節約を徹底したことで,なんとか生活していくことができました。)

超絶厳しい研究の世界に打ちのめされる

 人生が変わると思ったのもつか研究の世界の厳しさは想像を絶するものでした。

 研究室の雰囲気は,まさにTVドラマの「白い巨塔」そのものでした。

 「教授さまを頂点とする絶対的ヒエラルキー」があり,学年よりも,研究者としての実力で全ての上下関係が決まり,

 実力のない者にはほとんど人権がありませんでした(汗)

 おまけに教授は,院生を一切教育しない方針で,全て1人で研究・勉強しなければならないという過酷かこくな環境でした。

 そして,研究室の先輩方は「〇〇大学さまだぞ!!」という雰囲気をかもし出しており,

 無名大学出身で実力の及ばない私は,非常に肩身のせまい思いをすることになりました。

 実は,大学では「臨床心理学」を専攻していた私ですが,大学院では「実験科学系の心理学」に転向したということもあり,本当に苦労しました。

 研究においては徹底的にいじめられ,家に帰ってから泣きくずれてしまったこともあります。

 完全に弱肉強食の世界であり,助けてくれる人は誰もいません。

 しかも,研究室はパワハラとアカハラのオンパレードでした。

(ただ,良くも悪くも研究者として鍛え抜かれたという部分もあります)

心療内科・精神科を受診

 私は,なかなか研究成果を上げられない時期が続いて,

 極度の緊張とハラスメント等に苦しみ続け,徐々に体調をくずしていきました。

 最終的にはベッドからほとんど起き上がれなくなりました。

 大学の相談室でカウンセリングを受けると,カウンセラーの先生に「今のあなたは本当に深刻な状態だから」と,心療内科・精神科を紹介されました。

 そして,ようやく心療内科・精神科を受診して,しっかり治療を始めることになりました。

 この時点で,初めて正式に「社会不安障害(SAD,対人恐怖症)」であると診断されました。

ストレスと薬の副作用で激太り!!

 心療内科・精神科で,初めに処方しょほうされた薬「ジェイゾロフト(セルトラリン)」によって,不安障害の症状は緩和かんわされていきました。

 しかし,ストレスで過食症になり,薬の副作用によって代謝が落ちて,体重がみるみる増加していきました。

セシル

66kgだった体重が,2年間で95.4kgまで増えてしまいました(汗)

 薬の主作用・副作用には個人差はありますが,薬の副作用の1つに「食欲亢進こうしん作用」があります。

 体重増加については非常に悩みました。

 当時のことは,下記の記事で詳細にお話しさせていただいておりますので,ご参考にしていただけましたたら幸いです。

(※現在では,ダイエットに成功して体重62kgを維持しております。ストレス太りからのダイエット方法についても後ほどブログでご紹介させていただく予定です。)

社会不安障害(SAD)を克服!!

観光地の猫と戯れるセシル(20代後半)

 病院に通院して治療を続けながら,研究活動もがんばって,自信をつけていったことで,社会不安障害を克服することができました!!

 社会不安障害(SAD)を克服できたのは,病院での治療はもちろんですが,

 ふるえながらも何度も研究発表やプレゼンを行ったこと,研究成果を上げて研究業績を積んだこと,

 そして,私にとって最も大きかった成功体験として,私の研究論文(単著)が心理学の学会誌に掲載されたことです。

 これによって,確かな自信をもつことができました。

 社会不安障害の克服には,自信と成功体験の積み重ねが大切であり,一般的に再発はほとんどありません。

 それでも「人生経験」や「成功体験」を積み重ねて自信をみがいていくことは,生涯にわたって大切なことであるため,今後も日々成長していきたいと思っております。

挫折を繰り返して,ブロガーになることを決意!!

就職活動

 私は,大学教員(研究者)になることを夢見ていましたが,一旦大学院を出て,就職活動をすることにしました。

 「シンクタンク」や「科学捜査研究所」などの研究職,「新聞社」などの出版関係を受けましたが,

 書類選考や筆記試験は通っても,やはり面接はあまり得意ではなく,倍率も非常に高くて,採用を勝ち取ることはできませんでした。

(※面接では,病気になっていた事やその時期の事について上手く説明できませんでした)

 周りからは「上ばかり見ているから」と正論を言われましたが,どうしてもあきらめることができませんでした。

 ホントに困った奴ですね(汗)

ブログを始めた理由

ブログを始めた理由 ①

 ブログを始めた理由の1つ目は,それがまさにやりたいことだったからです。

 就職活動が上手くいかず,新しい仕事を探していたころ,趣味のバスケットボールで大ケガをしてしまいました。

 足首の靭帯じんたいを痛め,両ひざ前十時靭帯ぜんじゅうじじんたいを断裂してしまい,入院・手術・リハビリとなって,長期間 歩けなくなってしまいました。

 心療内科・精神科で治療をして,やっと病気を克服することができたと思ったら,仕事は見つからず,

 大ケガで寝たきりとなってしまい,他にも色々と負の連鎖が起きて,まさに人生のどん底にいました。

 これまで幾度いくどとなく立ち上がってきた私ですが,不幸が連続しすぎて,訳が分からなくなってしまい,

 その時ばかりは,本当に心が折れそうになりました(汗)

 ひとまず,生活をしていくための収入を得るために副業を探していたところ,ブロガーという仕事に興味を抱きました。

 「ブロガーとは,自分の経験や考えを社会に発信する仕事」

 それはまさに私のやりたい事でした。

 私は討論とうろん番組を見るのが好きで,いつもテレビを見ながら自分も討論に参加して,1人でしゃべっていました。

 当時交際していた女性に「もう出演したら?笑」と言われていたほどでした。

 大学職員をしていた頃,同僚どうりょうからも「あなたは持論じろんを展開するのが得意だから」とブロガーを勧められました。

 今からブログを始めて,収入を得るのは非常に難しいと分かっていましたが,

 「自分にとってブロガーは天職かもしれない」と思い始めるようになりました。

ブログを始めた理由 ②

 ブログを始めた理由の2つ目は,社会不安障害に苦しんだ経験を役立てたかったからです。

 現在,私は病気を克服して元気に過ごせておりますが,それまでの道のりは苦難の連続でした。

 というのも,精神疾患は風邪やケガとは違って,他人ひとに話すという事がほとんどないため,

 情報交換をする場面が皆無であるという問題がありました。

 私は病気の情報を得るために,インターネットで頻繁ひんぱんに検索していたのですが,

 欲しい情報が得られないということがよくありました。

 病院や専門家のサイトはどれも似たような内容ばかりで,実験に基づいた一般的なデータは多いものの,

 長期の治療プロセスや個々の患者(当事者)の生々しい体験談が全くありませんでした。

 せっかくネット検索をしても,

 私が本当に知りたかった「苦しみに耐えながら病気と戦っていくプロセス「長期服薬でのメリットデメリットというものが全くわかりませんでした。

 また,精神科医の先生はとても良い先生だったのですが,なにか自分とは違う距離感を覚えずにはいられませんでした。

 なぜなら,医師の先生方の経歴はどなたも素晴らしく,医学部に合格して,医師免許の国家試験に合格した方々であり,

 「一般人や患者の人生とは程遠いなあ…」と感じていました。

 治療の初期においては,病気や薬のことについて主治医の先生から教わることが多いのですが,

 多くの場合,医師と会話ができる時間は限られています。

 そこで,私のように自分自身が精神疾患を治療・克服して,病気と戦った当事者だからこそ伝えることができる「活きた体験談」があると考え,

 それが同じ病気や悩みと戦う方々にとって,有益な情報になるかもしれないとの思いでブログサイトを立ち上げることを決意しました。

ブログを始めた理由 ③

 元々,臨床心理士を志して心理学を学び始めたので,研究者へと進路変更をした後も,

 「困っている方々を支援したい」という気持ちはずっとありました。

 ただ,私にはカウンセリングよりも,ブログで自分の考えや体験談を発信することで支援するアプローチのほうが向いていると思いました。

 ブログを通して,心理的な支援ができれば,最初にやりたかったことを実現できると思いました。

 それがブログを始めた3つ目の理由です。

ブログを始めた理由 ④

 ブログを始めた理由の4つ目は,物心ついた頃から周りとは違う人生を送ってきたため,

 「いつか自分の人生経験を世の中に伝えたい」

 「いつか本を出したい」

 と漠然と思い続けていたからです。

 1歳の頃に父親を亡くしたこと,母子家庭になったこと,経済的に困窮こんきゅうしたこと,親からの愛情を全く受けられなかったこと,

 いじめや暴力の被害に苦しんでいたこと,家庭崩壊やひきこもりになったこと,精神疾患や大ケガを経験したことなど

 ”伝えたい”という気持ちは 日に日に強くなっていきました。

 そして,どん底を経験した私だからこそ伝えられるものがあると信じて,

 同じような境遇きょうぐうや自信をもてなくて悩んでいる方々のために,自分の経験を役立てたいと思いました。

セシル

生活費を得る手段に加えて,以上の理由がブログを始めた経緯となります

ブロガーになる!!

 2021年11月,30代でブロガーになりました。 

 ちなみに「心理ブロガー」という肩書きは,真剣に心理学を学んで研究活動を行ってきたので,

 私の「人生経験」「病気の体験談」に加えて,

 「心理学や科学的なエビデンスに基づいてブログを執筆することができる」

 という私の最大の強みから,そう名乗らさせていただいております。

 単純なネーミングですので,既に存在する言葉かもしれませんし,もっと適切な肩書きがあるかもしれません。

 特別なこだわりがあるわけでもないので,ある日突然変わるかもしれません(笑)

セシルの今後について

叶えたい夢

 私の夢は,心理学者(研究者)になることです。

 この業界は超絶狭き門であり,人生ハードモードのいばらの道を突き進んでおります。

 例えるなら,漫画家や作家が近いイメージです(同じ先生でもあります)。

 作品を制作する技術(研究者なら研究技術)を磨いて,作品(研究者なら論文)を完成させても,

 世の中に評価されて,売れなければ生活をしていくことはできません。

 現在,私は研究職にはいておりませんが,すで学術雑誌に複数の論文が掲載されており,国内外の学会で研究発表を行っているため,

 僭越せんえつながら「自分は心理学者である」というマインドをもって生きさせていただいております。

セシル

長期戦となりますが,私は夢を追い続けます!

ブログ活動

 仕事や研究などが忙しくなれば,ブログの執筆が遅れることもあるかもしれません。

 それでもブログ活動をずっと続けていきたいと思っております。

 これから先どんなことがあっても,私にとってここだけは守っていきたい場所です。

 今後も,多くの方々に読んでいただける記事を執筆できるように,日々 勉強を重ねていく所存です。

 どうか温かい目で見守っていただけましたら幸いです。

 そして,同じように悩んでいる方や「生きづらさ」を抱えている方,そのご家族や周りの方々の悩みを解決したり,少しでも勇気や希望を与えることができれば,

 それ以上に嬉しい事はありません。

 今後ともどうぞ「Cecil Lab(セシルラボ)」をよろしくお願い申し上げます。

 最後まで読んでくださり,本当にありがとうございました。

セシル

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